西武は12日、松坂大輔投手(41)が、19日に引退会見を行うと発表した。松坂は西武に復帰した昨年7月5日に「脊椎内視鏡頸椎手術」を受け、懸命にリハビリを続けていたが、最後まで右手のしびれが抜けず、今年7月7日に球団を通じて今季限りでの引退を表明していた。
その後も公の場には姿を見せていないが、本紙の取材に対して「ファンの方々の声援に力をもらいましたし、リハビリの間にかけていただいた温かい言葉に、何度もマウンドに立ちたいと奮い立たされました。感謝してもしきれません。ありがとうございました。まだいつになるかは分かりませんが、しっかりと会見などで私の言葉を皆さんにお伝えできればと思います」とコメントしていた。
甲子園決勝でのノーヒットノーラン。イチローとの初対決では3三振を奪って、確信に変わったとのコメント。あのイチローを高卒新人投手が3三振を奪うのは衝撃的だった。そして最多勝獲得。メジャーにいっても18勝して本当に凄い投手でした。怪我さえなければメジャーでもタイトルを獲れた選手だったと思う。日本に帰ってからは残念な感じでしたけど、数々の衝撃と興奮を頂きました。ありがとうございます。お疲れ様でした。
この記事へのコメント
間違いなく怪物で大いに野球界を盛り上げた偉大なる功労者で
私もたくさんワクワクを頂きました。
帰国後のキャリアはご本人相当辛かったと心中お察し申し上げますが、
私もたくさんワクワクを頂きました。
帰国後のキャリアはご本人相当辛かったと心中お察し申し上げますが、
それに余りある報酬を、これ以上ない位引き延ばして稼ぎに稼ぎきりましたね。
実績や肩書に弱い日本球団には感謝ですね。
40代男性
彼が怪物だったのは2008年まで。2009年~の低迷・不摂生・不義理等は感心しない。実にプロ生活の半分以上が低迷期。
気になるのが、世間が彼にとても甘く、物事すべてを甘く考えているフシが見え見えで、清原コースにならぬよう切に願う!
気になるのが、世間が彼にとても甘く、物事すべてを甘く考えているフシが見え見えで、清原コースにならぬよう切に願う!
50代男性
持ち上げ過ぎ。もういい加減稼いだのだから、静かにとっとと辞めれば良い。伊良部、清原と並んでの練習嫌いで、持って生まれた身体能力頼み。有無を言わせず練習させられた高校を出てからというもの、特に下半身を鍛える為の辛い練習を回避して来た事に加えて、食生活の不摂生等も祟って後半は名前だけで高額契約したにも係わらず、鉄砲肩頼みの手投げの力も落ちて、碌な結果を出せなかった。きちんと正当な評価も出来ないマスメディアにはうんざりだ。
40代男性
この記事へのその他のコメント
名無しさん
57分前
個人的に一番思い出されるのは、プロ入り前ですが、
98年夏の準決勝、対明徳義塾戦。
松坂は気持ちで投げ、周りもその気持ちに応えた。
そういう選手だったように思います。
松坂世代という一時代を築いたプロ生活、大変お疲れ様でした。
またいつか野球界に貢献してほしいです。
名無しさん
58分前
今思えば、WBCで肩を壊したのがターニングポイントでした。
それからは縦続きに故障故障の連続。
当時の監督だった王球団会長はその償いもあって、ソフトバンクで引き取ったんじゃないかと考えてました。
名無しさん
17分前
色々あり過ぎやろう。ソフトバンクでは一試合に投げただけで3年で10億円以上貰ったし中日では客寄せパンダをやり西武でもやりたい放題。立つ鳥後を濁すとはこのこと。西武時代の荒木大輔コ-チが言った通り手に負えない子供だったということ。似たようなことを今の奥さんにも言われている。全ての汚点を大谷翔平の活躍に晴らして貰う毎日だな。大谷も間違っても松坂大輔のことは口にしない。彼の話に出て来るのはイチロ-と松井秀喜ぐらい。
名無しさん
47分前
確かに日本におられたころは怪物でしたがそのお陰で、ソフトバンクに入団された時は1軍では1球も投げずに4年間キャッチボールのみで年間4億円、4年で16億も稼がれて、良かったのではないでしょうか。
1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風
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センバツを制した横浜高校は、夏の大会でも快進撃を演じる。主役は「怪物」と呼ばれた松坂大輔。熱投に次ぐ熱投のうえ、決勝戦でノーヒットノーランを達成した雄姿は、今も野球ファンの脳裏に焼き付いている。あれから20余年ー改めて、1998年の横浜高校が辿った軌跡を振り返る。
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